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Social Value Salon(SVS)を立ち上げた理由 その1

はじめまして。社会人向けスクール『Social Value Salon(以下、SVS)』の販売・運営会社であるOutgrow Japan株式会社 代表取締役の山本周平です。この文章を書いている今日現在(2019年4月18日)で、SVSは3年目を迎えております。そのSVSがどのように立ち上がったのか?僕がなぜこのスクールを始めようと思ったのかをお話していきます。

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〜目次〜
1.安易に起業した22歳
2.教育へ感じた壁と自分への不安。
3.『曽我 将』との出会いと方向転換
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1.安易に起業した22歳

僕は、22歳の時に起業をしました。そんなに若いのに何で起業したのか?とよく聞かれるのですが、本当にごもっともな質問だと思います。20歳の時に留学をしたことをきかっけに起業に対しての願望が非常に強くなりました。でも、起業するためにはどのようにしたら良いのか分かりません。その時に相談したのが、京都大学出身で東証一部上場企業に就職していた従兄弟でした。

「しゅうへい、社長になりたいんだったら売上を上げ続けなければならないよ。だから営業を勉強しなきゃ」

とアドバイスをいただいた僕は、営業の勉強を始めます。どんな人にもどんな商品だったとしても、売れるようになるためにはどうしたらよいのか?ということを勉強して、iPhoneの代理店をやったり不動産の紹介をしたりしていました。そうすると、段々と売れるようになってくるんですよね。コツがつかめて、商品を売るということがどんなことなのかが分かってきました。

そして、タイミングを同じくして「山本さんの営業を勉強したいです」と言われることが増えてきて、最初は「営業指導」で起業をしました。起業してから3年間ほどは、この仕事を続けていくことになります。しかし、「やってよかったという充実感」と「やらなければよかったという後悔」が両方あります。

やってよかった というのは、この時の経験があったからこそ今の自分があるということ。間違いなく当時の経験が活かされています。反対に、「やらなければよかった後悔」というのは、通常通り大学を卒業して一般企業に就職してから起業すればよかったかなというものです。事業をやっていくなかで、僕自身がまだ学生の延長線上でしかないということに気づいて自分の能力の低さを痛感することになりました。

2.教育へ感じた壁と自分への不安。

僕の両親は学校の先生でした。その影響もあって、僕は中学生までは学校の先生になりたかったんです。けれど、公務員という枠組みの中では自分は仕事ができないと思ったのも教育業で起業したことに繋がっているかもしれません。

営業指導で起業した当初は非常に楽しかったです。自分が指導したことによって、売れなかった商品が売れるようになったり「山本さん、ありがとうございます!」と言われることが増えたりして、非常に自分の自己重要感が満たされたような気がしました。

しかし、世の中そんなに甘くないんですよね。やはり、なんと言っても圧倒的に経験不足だし実力不足。少し人の真似をするのが上手なのである程度まではできるようになるのですが、すぐに限界が来てしまいます。にも関わらず、教育業というのは自分よりも知識がなかったり自分よりスキルがない人がお客さんになるのでお金は入ってくるようになります。

それが自分の感覚を鈍らせていたと思いました。自分の能力に見合わないお金をもらっている気がする。このまま自分の仕事というのはどうなっていくのだろう?成長している実感がないぞと。キラキラした未来を想像して実行した起業でしたが、早々にして壁にぶち当たりました。

3.『曽我 将』との出会いと方向転換

現在SVSの講師をお願いしている『曽我 将』さんに出会ったのは、2013年の3月でした。ちょうどいまから、6年前のことです。起業して4ヶ月ぐらいが経ち、「あれ、このままだとまずいかも……」と思ったタイミングで参加をした「映像と企画」に関する講義でした。自分自身で居映像を作れるようになりたい、企画を考えられるようになりたいという思いで参加をした講義だったのですがここで僕の人生は大きな転機を迎えます。

僕の教育に対する考えが変わりました。「まだ僕のレベルでは教育をしてはいけないな」ということです。社会人経験もないし、少しちょろっと勉強しただけの自分がまだまだ教えるに値しないなということをひしひしと実感しました。

将さんは、大手の広告代理店でTV CMプランナーをやっていた方でした。有名なところでいうと「母の日には真っ赤なガーナを送ろう」というCMを作った人です。その他にも国内、海外合わせて20を超える広告賞を受賞しており、2009年には日本人に歴史上30名もいないといわれる海外広告賞グランプリを獲っています。

ちょうど将さんが、独立をするときに一番最初に開催をした講義だったのですが僕にとっては超一流の大企業の第一線で結果を出し続けてきた人に初めて会ったので本当に衝撃だったんですよね。勉強することが全ておもしろく、自分よりも遥かに実力の上の人から学べるのが楽しくてしょうがありませんでした。

しかし、上記にあるように自分との差も痛感したので僕はこのタイミングで「僕が教育を通して助けたいと思う人がいても、僕が直接教えるのではなく自分よりも優秀な人に教えてもらうようなスクールができないものか?」と自分の事業を方向転換しよう決意をしました。

 

教員だった両親の影響もあって、教育というもので世の中に貢献したいという思いは起業当初からかわりません。僕は、世界的に有名な将さんにどうやったら自分のスクールの先生になってもらえるか?をこのときから考え始めました。

つづく

 

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