目次
やまもと社長物語を通して
『起業』がイメージできるようになる
この『やまもと社長物語』を読み進めてくれてありがとうございます。僕があなたと同じように「起業したい!けど何してよいか分からない…」と困った10年前の20歳のときは、周りに相談する人もおらず
限られた人や選ばれた人だけしか
起業や独立はできない
と思っていました。起業に関する情報を色々と調べてみても、「稼げる(らしい)ノウハウ」などはいっぱい出てくるんですけど「その人がどんな人なのか?」「どういう経緯で起業したのか?」を見てもあまりにも自分とかけ離れた話ばかりで全然イメージが出来なかったんですよね。
あなたが起業して成功する確率を上げるには
「あなたが起業できるイメージを持てるかどうか」
が非常に関係してきます。
したがってこの「やまもと社長物語」を読んで
①起業するまでのイメージ
②起業してからをイメージ
をしてみてください。
本当にどこにでもいる人が、起業したいと思って数々の失敗を繰り返して社長9年目になっていくまでの道のりを書こうと思っています。かなりの超大作になりそうなんですけどね(笑)
その時々に感じた気持ちなど鮮明に書いていくので、あなたにとって身近に感じてもらえるのではないかなと。是非、映画を見る感覚で頭の中にイメージして文章を楽しく読んでいただけたら嬉しいです。
今日の記事では、やまもと社長の小学校〜中学校がどんな人だったのか?を読んでもらい「めっちゃ普通やん」ということを感じてください。笑
昔のやまもとを良く知る先生などに
インタビューしてみました(2013年)
まだ起業したての23歳(1年目)のときに作った自己紹介映像の一部なのですが、中学校の先生や父親にも登場してもらいました。まぁ、普通な感じがしますよね。2分ぐらいなので是非みてみてください。僕もでていますが、8年前の映像なので非常に若いです。笑
〜出演者〜
- 父親
- よく行っていた美容院のお姉さん
- 中学校2年3年生の担任の先生
- 小学校〜中学校の幼馴染
- 野球部の友だち
同級生の女の子は6名の小学校
僕は愛知県豊橋市という小さな市で生まれ育ちました。人口は名古屋市に続いて2番目の38万人都市なのですが、僕が生まれた地域は豊橋市の中で最も田舎だと思われる下条西町という田んぼばかりの場所。最寄りの豊橋駅まで車で20分ですよ。(遠すぎ!)
映画の中で出てくる田んぼのシーンを思い描いてもらえればイメージが湧くのではないでしょうか。笑 小学校の全校生徒も100名に達することはなく同じクラスには同級生が18名しかいません。
そのうち、女の子は6名だったので12名の男の子で争奪戦でしたね。(僕はその6年間の争奪戦で勝つことはありませんでしたね。笑)
豊橋市が起業家を輩出する都市だったか?いいえ、全くそんなことはありません。むしろ正反対の位置=超保守的 じゃないかと思っています。なんでこんなに皆のんびりしてるんだ〜。なんでこんな田舎に生まれたんだ〜とちょっと嫌に感じていたかも。
いま僕が住んでいる福岡市は全国で開業率が1位なので、福岡だったらもっと起業が身近に感じられたかもしれません。
教員の両親の影響で
クソ真面目な性格に育つ
そんな僕の両親は学校の先生でした。父は2017年に69歳でなくなりましたが、退職して農業の仕事を始めるまでは愛知県立豊橋西高校で物理の教員として働いていました。
教員一筋40年。進路部長もしていた、バリバリの「The 先生」です。母親は結婚するまで小学校の教員をしており、非常に真面目な両親のもとで育ったと思います。
僕のことをよく知っている人は分かると思うのですが、基本はふざけています。大阪に4年間住んでいたこともあって、エセ関西弁でしょうもないギャグを言ったりしますが、ウケを狙ってウケたことはありません。笑
でも話している人を楽しませたい気持ちがめちゃくちゃ強いので、ギャグは対して面白くないけれど一緒に居てテーマパークより楽しい自信はありますよーーーーーー。(*ノω・*)テヘ
しかし、根本をたどると教員の両親が育てたクソ真面目な部分があるんだなと今振り返ってみて思いました。なので、僕のブログや人生が役に立つ人っていうのは基本的にがんばり屋さんで真面目な人じゃないかなって勝手に思ってます。
真面目で両親が言うように生きてきたから、人並な人生は送れている。けれども、今までの人生に選択肢としてなかった「起業/独立/フリーランス」に興味が出てきた人……という感じではないですか?
とはいえ、自分の周りにも相談できる人もいないしイメージも湧かないから僕のブログを読んでくださっているかも?と予想していますが、どうでしょう。(あたってますかね?笑)
もしそんな状況ならすごく気持ちもわかりますし、立ちはだかる壁もわかりますので是非遠慮なく相談してくださいね^^
優秀な兄と姉のおかげで
受験のプレッシャーが半端ない
僕には8歳上の兄と10歳上の姉がいます。起業して最高な人生を送れているいまとなっては、「両親よ、本当によくぞ8年越しに生んでくれた!」と思っています。笑
ふたりとも今でも仲がよく大好きなのですが、上の二人は僕に比べてとにかく優秀だったんですよね。姉なんて中学校の模試で愛知県で1位の成績をとっていますし、兄も中学のときに学校代表で中国に派遣されたりしていました。
そして、2人とも愛知県でかなり優秀な高校である時習館高校(現在の偏差値が約70ぐらい)に進学し、そのまま2人とも横浜国立大学へと進みました。(真鍋かおりの出身校)ちなみに僕は浪人してやっと、平井堅の出身校である横浜市立大学でした。笑
なんで同じ道を歩んでんねん!と思いますが、僕も両親も意識せざるを得ないですよね。いや〜上の兄弟が優秀だと、一番下の末っ子としてはプレッシャーが半端ないんすよ。
僕の中学のときの内申点だって、そんなに悪くなかったんですよ?5段階評価で9科目45点満点のうち、41点をとったときにすごい怒られました。笑(山本家では最低ラインが43のようですw)
なんで他の子はそれより低い点数でも褒められてるのに俺は怒られないとあかんねん!って子どもながらに疑問でした。
父親も、姉も、兄も、叔母も、叔父も、いとこもみーーーーーーーーんな時習館高校に進学しているので、当然僕に対して「あなたも行くよね?」という無言なプレッシャーが……。笑
そのプレッシャーがいやで、反抗してあえて地域で2位の学校へ行く!と言ったこともありましたね、そういえば。そしたらそしたらで、時習館高校に行くことの素晴らしさをプレゼンされた記憶があります。笑
当時の僕はとりわけ優秀だったというよりは、真面目に提出物を出したり授業中に発言をしたりしたおかげで内申点だけは高かったそんな小学生〜中学生でした。
生徒会や合唱コンクール
頑張っちゃう人
学生時代で一番「イケイケだったときは?」と聞かれたら、僕は中学生のときなんじゃないかな?と思います。真面目な性格もあってか、豊橋市立青陵中学校では、生徒会をやったり学級委員をやったりしました。(中学校が一番モテた説?笑)
このときから人を引っ張ったりまとめたりするのが好きだったんでしょうか。
あなたの学校では合唱コンクールってありましたか?割とどこの学校でもやっているんんじゃないかと思うんですけど、僕はその合唱コンクールを「頑張っちゃう人」だったんです。笑
中学生ってバリバリの思春期じゃないですか。だから、特に男子は歌う『真面目ちゃん』と歌わない『ヤンチャ君』に分かれるんですよね。
当時学級委員だった僕は、『真面目ちゃん』とも話すし『ヤンチャ君』たちとも仲良くする中立の立場をとってました。だから、彼らに歌わせるのは僕の仕事だったんです。笑
女子たちが「ねぇ、男子ちゃんと歌ってよ!」と文句言うのって、僕の学校だけじゃなくて全国どこでもありませんか?笑。例によって僕のクラスでも同じ現象が起きます。
だから、僕は男子のバスパートとテノールパートを両方とも歌えるように練習して、ピアノを5歳からやっているからか音はとれたので恥ずかしくて歌わなかったやんちゃ君の隣で一緒に音をとって声をださせました。
そういう行事などに関しては、一生懸命にやる人でしたね!今となっては、昔全力で頑張ってよかったなと思います。あなたは行事、一生懸命にやる派でしたか?サボる派でしたか?
どっちかといったら一生懸命にやる派の人の方が僕と話が合うかもしれません。笑
<本日のコメント>
あなたの小中学校時代は?
さて、ほのぼのとした小中学校編を読んでくださってありがとうございました。他の起業家さんのことは詳しくは知りませんが、少なくとも僕は上記に書いたような普通のどこにでもいるような人だったんじゃないかなと思っています。
あなたはどんな小学校〜中学校時代を過ごしましたか?是非コメント欄で教えて下さい。じつは、小学校や中学校にどんな人物だったかによって向いている起業のジャンルが変わってきたりするので、教えてもらえたら嬉しいです^^
今日の感想もお待ちしてますね!それでは!
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この記事のライター
やまもと社長
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