【秘話①】高校で味わった挫折が起業へ

こんにちは!やまもと社長です!この秘話シリーズでは、僕がどのような経緯で起業をするに至ったのか?という話をしていきますね!\(^o^)/

僕が一番最初に起業したいと考えたのは、高校生。中学までは成績優秀で調子に乗っていたんですが、高校に入ったら勉強が難しすぎてついていけなくなったことが、後々に大きな影響を与えています。

中学生までは成績優秀

中学校3年生の修学旅行にて。
生徒会や学級委員長をやっていた。

自分で言うのも何ですが、中学生までは優等生だったんです!笑 
生徒会もやっていました。(会長には選挙で破れてなれなかったけど)

通知表は、オール5でテストも大体上位10位以内ぐらい。学校の勉強で難しいと思ったことはなく「勉強って簡単だなー」と調子に乗っていました。笑

そんな僕が進学しようとした愛知県立時習館高校は、地元(愛知県豊橋市)では頭が良いことで有名。東京大学や京都大学、早慶上智などの優秀な大学への進学実績が数多くある高校です。

すごい極端な高校なんですよ!東大、京大、名古屋大以外は行ってもしゃーないみたいな風潮。笑

偏差値も高く、2020年版を調べてみたら70ぐらいありました。当時は65ぐらいだったような気がするんですけどね。

それにしても、高校受験の時はものすごいプレッシャーでしたねぇ。

なんとなんと、家族や親戚が時習館高校出身ばかりだったんですよ。

父親からはじまり、10歳上の姉と8歳上の兄も時習館高校。
父の弟である叔父も時習館高校。
母の姉である叔母も時習館高校。
母の弟である叔父も時習館高校。その息子(いとこ)も時習館高校。

無言の圧力がすごい!笑

時習館高校に行って当たり前だし、行けなかったら恥ずかしいみたいな。家族の恥だみたいな。

なんとか無事に合格したのですが、正直 僕の場合は実力というよりゴマすりで入学したようなもの。←

テストの点数では振るわなかったけど、授業でニコニコして質問して提出物をしっかり出していたので内申点だけは貰えていました。

だから、その内申点が反映されてギリギリで合格できたということですね。(人生、ニコニコしてたらいいことあるな〜という教訓はこのときから。笑)

しかし、この高校で僕は大きく挫折を味わうことになります。

高校で挫折。やまもと=バカのレッテル

高校2年生のときに行った沖縄への修学旅行

時習館高校に入学して僕の調子に乗った天狗の鼻はすぐに折れました。

入学早々、実力テストってあるじゃないですか。今までテストなんて対して勉強しなくても、ある程度出来るものだというイメージしかなかったので中学を卒業した後の春休みなんて遊びまくってたんですよ。

毎回テストは上位20位以内だったし、高校もそんなもんかと思って受けてみたら……「あれ?なんだか難しいぞ?」という印象。

そして、順位をみてみると

258位/320名

今まで、とったことのない順位をとり一瞬思考停止しました。何度も順位の書かれた紙を読み直しましたが、結果変わらず。(当たり前やけど笑)

愛知県豊橋市にある各中学校の成績優秀者が集まっていたので、当然といえば当然だったのですが僕の考えは甘すぎ。

「確かに頭いいやつが集まるんだろうけど、なんやかんや俺って頭いいやろ?」

と。

全然ダメでしたね。笑

授業は予習をして行かなければ、全くついていけません。中学までは予習せずとも授業を聞いているだけで分かったのに、先生の話を聞いていてもチンプンカンプンです。

僕は、全く授業の内容が分からず先生に刺されるたびに隣の席に座っていた友達に聞いていました。

テストを受けても、順位は下がるばかり。

ついに、高校1年生の2学期の終わりぐらいに

320位/320名

という不名誉な順位をとってしまったのです。そしてそれ以降は、ずっと315位〜320位が僕の立ち位置となりました。

勉強ができないから、ドンドン勉強もイヤになってしまって授業も頭に入りません。

だから、校内だけでなく他の高校の生徒と比べても成績は悪くなっていきます。愛知県の高校生のほとんどが受ける模試での成績は、偏差値50を切りました。

入学時は65ぐらいあったのに、調子に乗ってたら一気に偏差値40台です。

この頃から、僕は自分への自信がなくなったのでクラスでの立ち位置を確保するために「ふざけたバカキャラ」になることにしました。

「おれって馬鹿なんだよなーははは」という感じにしてないと、自分を保っていられないんです。笑

勉強ができないことって、社会ではここまで影響するんだということを部活動を通じて学びました。

野球部で“頭が悪いやつ”の意見は通らない

小学校から9年間ずっと続けていた野球部
高校ではレギュラーになれずにベンチウォーマーでした。

僕は、小学校4年生から高校まで野球をやっていました。中学はそこそこ強いチームでしたが、セカンドでレギュラー。高校に入ってもレギュラーになれるかも?とこれまた調子にのっていたけれど、これもダメでしたね。笑

ただ、それは僕が下手くそなだけだったから良いんです。

僕が納得いかなかったのは、高校の野球部の練習方法について。自分がレギュラーになれないにしても、チームが甲子園に一歩でも近づければ嬉しいじゃないですか。

じゃあ果たして自分のチームがその目標を達成できるか?

僕は練習をみて「無理だろ」と思いましたね。高校1年生のときに。だって、実戦を想定した練習をせずにずっと

・ノック
・フリーバッティング

ばかりやってるのですから。もちろん基礎練習も大事です。しかし、練習のための練習はいざ本番の試合には役に立ちません。

僕は、この練習を変えたかったのです。自分の中学では、もっとレベルの高い練習をやっていたので取り入れたかったんですよね。

だから、監督に言いました。

「監督!もっと練習をこうした方が良いと思います!」

と。

しかし、監督は僕の意見を受け入れることはありませんでした。その一方で、偏差値が70ぐらいある僕の同級生の意見は通るんですよ。

なんという理不尽!!!笑

頭が悪いという理由だけで、自分の発言に対する説得力が無くなってしまう。

方や、頭がいいやつの言うことはそれだけで聞くに値するのかと!結局、僕の意見は僕が引退するまでもしてからも通ることなく今も続いているのだと思います。ひたすらにノックとフリーバッティングを繰り返す練習が。

社会に出たら自分の理想の組織を作ってやるんだ!

この野球部での経験が、僕に大きな影響を与えたと思っています。

小さい頃は、「順位なんて関係ない。一生懸命やることが大事だ」と教わってきたじゃないですか。僕らの頃は違いましたけど、最近では運動会の徒競走で皆手をつないで一緒にゴールするみたいな。

でも、高校生ながらにして社会とはガチガチの競争社会であり、実力主義だと痛感したのです。笑

みんなで目指していた目的を達成する(当時は甲子園出場)ために、新しい提案をしても通らないもどかしさはものすごいストレスでした。

もっとこうしたらチームが強くなるのに……。自分ももっとうまくなれるのに……。と。

だからこのときに大きな決意をしたんですよね。

もし自分が社会に出たら、自分の理想の組織で、理想のシステムを作って、自分が達成したい目標のために自分でやるんだ!と。

まさか大学在学中にいきなり起業するとも思っていなかったんですけど、家族親戚の90%が学校の先生であるにも関わらず、自分だけが起業という道に走ったのは良くも悪くも進学校で、めちゃめちゃ苦い思いをしたからでした。

まとめ

中学までは成績優秀だったものの、調子の乗っていたら高校で成績ガタ落ち。頭が悪いと、部活においても発言権がなくて意見が通らない。その苦い経験が起業への思いを強くさせたという流れです。

学生時代のときに感じたモヤモヤって、将来を大きく変えるんですな〜。と今になって思います。笑


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